魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)
によって 黒川 正剛
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ペーパーバック : 249ページ ページ
作者 : 黒川 正剛
出版社 : 筑摩書房 (2018/8/10)
コレクション : 本
ISBN-10 : 4480016716
フォーマット : 単行本(ソフトカバー)
発行日 : 2018/8/9
平均的な顧客フィードバック : 4.3 5つ星のうち(2人の読者)
ファイル名 : 魔女-怪物-天変地異-筑摩選書.pdf (サーバー速度23.57 Mbps)
ファイルサイズ : 21.83 MB
作者 : 黒川 正剛
出版社 : 筑摩書房 (2018/8/10)
コレクション : 本
ISBN-10 : 4480016716
フォーマット : 単行本(ソフトカバー)
発行日 : 2018/8/9
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この美しい魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)の本をダウンロードして、後で読んでください。 この素晴らしい本を誰が書いたのか知りたいですか? はい、黒川 正剛は魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)の作成者です。 この本は、いくつかのページページで構成されています。 筑摩書房 (2018/8/10)は、魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)を公開する会社です。 2018/8/9は初めてのリリース日です。 今タイトルを読んでください、それは最も興味深いトピックです。 ただし、読む時間がない場合は、魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)をデバイスにダウンロードして、後で確認することができます。
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黒川 正剛の本魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)をダウンロード[EPUB]-電子ブックをダウンロード以下は、魔女・怪物・天変地異 (筑摩選書)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
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「好奇心」を持つ事は、果たして“悪”なのか…?現代では勿論、何にでも興味を抱く事は良い事とされ、教育現場に於いても常に「好奇心」の重要性を説いている。だが、思えばアッシジのフランチェスコも本人は博学であったにも拘らず、弟子には書物を読む事を禁じていたという逸話が残されているように、実は嘗ての欧州では、行き過ぎた「好奇心」は悪とされたのだ。こうした背景の中で、取り分け「驚異」に対する当時の人々の反応、更には「未知なるものへの探求」を求めた末に否定へと至った歴史を紐解いたのが本書であり、正しく単なる“好奇心”では済まされない奥深さを実感させてくれる一冊である。さて、現代では当たり前の自然現象も古代の人々にとっては恐るべき驚異であった。そんな時、純粋に彼等は思ったのだろう…「これは何かの前触れではなかろうか」と。本書では特に政治家・キケロ、神学者であり哲学者でもあるアウグスティヌス、そして博物学に通じていたプリニウスなど、当時の高名な知識人達が如何なる見解を以って(即ち、“驚異”は凶兆なのか奇跡なのか)捉えていたのかという事を解説しているのは面白い。そして人々が見知らぬ土地へ冒険した大航海時代…その驚異は「増殖」するのだ。初めて訪れた土地で目にする物が新鮮だったのは理解出来るが、今思えば普通の動植物が誇大表現されていたり、どう考えても存在し得ない物を実しやかに伝えていたりもする。そして何よりも注目すべきは、冒険心に満ちた『南極フランス異聞』を執筆したアンドレ・テヴェが、実は「好奇心断罪派」だったという事かもしれない…即ち、この時代はまだ「好奇心」そのものに対する概念が確立されてはおらず、“悪の好奇心”が徹底的に弾劾されるのは、どうやら、もう少し時代を経てから…それが宗教改革の時代なのだ。本書では、カトリックとプロテスタント、それぞれの“驚異”に対するスタンスを取り上げており、こんな所に両者の違いがあったのも驚きだが、同時に、自然現象、奇形、不思議な動植物等、過去には単なる“驚異”に過ぎなかったものの全てを神に結び付けて解釈し、神の意思を読み解こうとした所にキリスト教の奥深さを実感する。いや、それだけではない…解決出来ない驚異を悪魔の仕業と見做さざるを得なかった所為で、その結果として起こった悲劇には、思わず誰もが考えさせられるであろう。たまたま人々が持ち得ない知識を有していた人が「魔女」の疑いを掛けられて命を落としていった歴史は多くの著作でも触れられている事なので本書ではそれらに多くの頁を割いてはいないが、それよりも寧ろ、悪魔と契約したファウストの多大なる好奇心や、親の言いつけを守らずに墜落したイカロスを象徴的に扱っている所に大きな意義がある。キリスト教国家に於いては、あくなき探究心や限界に挑戦する冒険心は全てが“悪”…即ち、それは悪魔に魂を売る事であり、神の領域に踏み込む事になり兼ねないのだ。思えば、我が国に於いても驚異的な現象は「怪異」として、陰陽師が招聘されて吉凶を占ったり、或いは高僧が加持祈祷を行ったりした歴史もあるが、私達はそれを「天狗の仕業」や「妖怪」に託けて曖昧に順応して来たのに対し、徹底的に探求し、行き着く先はその全てを弾劾した所にキリスト教国家ならではの明確な姿勢が見て取れる。読めば読む程に面白く、然もその度に新しい発見がある一冊である。
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